浅沼邦夫、いざ出陣!

城北メンバーでもある 浅沼 邦夫 選手、いざ出陣です。
浅沼選手は、世界的に評価される Big4 の戦略コンサルでキャリアを積み、現在は警視庁のセミナー講師も務める、いわゆるエリートコンサルタントです。
多忙を極める日々の中で練習を積み重ね、2025年12月5日、40歳でプロ2戦目を迎えました。
一般的には“挑戦”という言葉で片づけられがちですが、40歳でリングに立つ現実は、想像以上に厳しいものです。
試合は、ラウンド終了と同時のダウンで、3分10秒、TKO負けとなりました。
プロのリングが持つ冷徹さが、そのまま数字となって表れた結果でした。
ブレイク際に生まれたわずかなスキを突かれた一撃が、勝負を分けました。
チケットアクセスランキングで世界王者に迫る

浅沼選手の試合チケットは、なんと世界王者・堤選手に次ぐアクセス数で第2位。
ボクサーとしては無名の40歳、しかも4回戦選手でこの順位はまさに驚異的です。
彼の人柄や存在感、そして城北メンバーとしての信頼感が、この数字に表れています。
それは、彼が積み重ねてきた努力と覚悟が、多くの人の心を動かした証でもあります。
年齢とともに回復は遅れ、怪我のリスクも増える。20代のようにはいかない現実がある中で、「40歳でプロのリングに立つ」という強い想いが、最後まで彼を支え続けました。
その努力の濃さは、結果とは別の価値を持っています。
年齢を理由に夢を諦めない “勝負の本質”

倒れたシーンだけを見れば、結果は厳しく映るでしょう。ですが、選手本人、セコンド、仲間たちは知っています。浅沼選手が 「逃げる」のではなく「戦う」ことを選んだ という事実を。
その姿勢は、勝ち負けを超えて多くの人の心を動かしました。40歳でプロリングに立つという行動は、同年代はもちろん若い世代にも強く響くものです。
挑戦の価値は消えません。
負けても“生き方”が残る。
その物語はむしろさらに濃くなり、仲間たちの記憶に刻まれました。

敗北ではなく「記録すべき時間」
私たちは知っています。
そこにあった人生の重みを。
そして、浅沼選手がリングへ向かうときの揺るぎない覚悟を。
これは敗北ではありません。
これは、「自分の人生に真正面から向き合った男の記録」です。

試合後、
「右手が一番のダメージでした」「手の痛みとともに学びになりました」「少し油断がありました」との報告が、監修者へございました。
……うん、うん、全部わかる。では最後にひとつだけ。
本気モードのスイッチ、どこ行った!? 笑
監修
城北マスボクシング研究会
比護 忍
全国ヒットマスボクシング競技会 優勝
全日本マスボクシング選手権大会 優勝

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